【今さら考察!】バンプの(please) forgiveは〇〇〇との決別の歌だった!?
こんにちはトレンディパパです♪
今回は私が好きなアーティスト「バンプオブチキン」の曲の考察をしてみます。
(please) forgive
アルバム「Ray」に収録されている曲で、特に何かのタイアップであったり、シングルカットされたわけでもなく、ひっそりとアルバムの終盤に収められている曲です。
しかし私は、このアルバムの中でこの曲が一番好きだし、バンプオブチキンの今までの全楽曲の中でも上位に入るくらい思い入れが強いですね。
あまりにも好きすぎて、発売からかなり時間が経っている今でも聞いています。自分の中での思い描いた勝手な解釈をどこかにぶちまけたくなって、この記事を書きました。
バンプオブチキンの楽曲は決して押しつけがましくなく、聞く人の解釈によって様々な捉え方ができるところも魅力です。
私の解釈も誰かに強要するつもりもありませんし、正解だというつもりもないです。
ちなみに今回この記事を書くにあたって、他の方の考察記事にも一切目を通していません。
あくまで私個人の主観と感想なので、暇なおっさんの独り言としてサラッと読んで頂ければ幸いです。
考察
歌詞の時系列に沿って最初から順番に考察していきたいと思います。まずタイトルの(please) forgive ですが、何も考えずに素直に直訳すると「許してほしい」でしょうか。この時点ではまだ何を表しているのか分かりませんが、一曲通して聴くと合点がいくタイトルです。それは後ほど。
あなたを乗せた飛行機が あなたの行きたい場所まで どうかあまり揺れないで 無事に着きますように
この時点ではまだ「あなた」が誰のことを指しているのかいるのか分かりません。ただ、とても大事な人が乗った飛行機の無事を祈っていることは分かります。
そしてその「あなた」が、自分で行きたい場所を選んだのだということも。
最近は別に元気じゃない それが平常で不満もない 生活に変化は求めない 現実とマンガは重ねない いつまで続けるの 終わりがあるものなの
ここからは自分自身の近況に入ります。
誰もが前向きで元気なわけではありません。あの大人気漫画の主人公のようにはいきません。でも、大抵の人はそうではないでしょうか。「楽しいことやワクワクすることが起きないかな」とは漠然と思いつつ、日々の退屈なルーティンをこなしている、そして、それに対して特に不満もない。そんな人がほとんどなはずです。
でも、そんな生活を死ぬまで続けるんでしょうか。続けていいんでしょうか。
頭はずっと忙しく 心はずっと もうずっと 絶え間無く叫んで 私を叫んで たとえ耳を塞いでも 聴こえてしまうんだ
耳を塞いでいるの聞こえてくる声は自分自身の心の声しかありません。
日々のルーティンをこなすことで精いっぱいで、知らぬ間に押し殺してきたはずの自分の本当の願望は、ずっと頭のなかで響いていたのです。我慢させることなく、本当の自分をさらけ出して、やりたいことをやってあげたいんです………けど………。
ただ怖いだけなんだ 不自由じゃなくなるのが 守られていた事を 思い知らされるのが
ここの歌詞で冒頭の「あなた」につながります。
誰を指していたか不明だった「あなた」はずばり、親or家族だと解釈します。
未成年の頃や学生時代って親と暮らしますよね。
親から決められたお小遣いをもらう。食べたいものが夕飯で出るとは限らない。夜中に騒いでは行けないし、門限もある。つまり、親と暮らしているときって「不自由」なのです。ですが、それはつまり親の監視下にあって「守られている」とも言えます。
このことから推測して、この物語の主人公は、「親と離れる」ということを飛行機での旅立ちに例えていたのではないでしょうか。
親と離れてすべて自分の思い通りにできる。つまり「不自由」ではなくなったのに、自分の心の声のままに行動することが出来ない臆病な部分を感じ取れます。親って離れるとその偉大さとやさしさに気付きますよね………。
自分で選んできたのに 選ばされたと思いたい 一歩も動いちゃいないのに ここがどこかさえ怪しい
大人になれば全ての責任は自分にあります。それでも人間って誰かのせいにしたい生き物ですよね。私もそうです。責任だけ誰かに取ってもらって自分の生きたいように生きられたらどんだけ楽でしょうか。
大人になってしまうと、行動の先にある結果を恐れてしまって、いくつかあるはずの選択肢の中から当たり障りのない選択ばかりしてしまします。
大胆に動いたつもりでも、はたから見れば一歩も動いていないというようなことも。
頭はきっと嘘をつく 心はきっと もっとずっと 遠くを見ていて 近くに見ていて 閉じた瞼の裏側に 映してしまうんだ
目指していた場所はここじゃないという感覚は誰にでもあります。それでも何とか自分を騙して生きていけてしまうのが人間の悲しいところでもあります。
でも目を閉じてみると、自分の理想とする「本当の自分」がキラキラして見えてきちゃうんですよね。
まだ憧れちゃうんだ 自由と戦う日々を 性懲りもなく何度も 描いてしまうんだ
憧れの「本当の自分」にはなかなかなれません。それが出来るのはほんの一握りです。
年齢を重ねるにつれて、自分はその一握りではないんだということが徐々に分かってきてしまいます。そして少しづつ諦めていきます。でもたまに瞼の裏に映像として映し出され、また無理やり忘れようとして………。それの繰り返し。それが悪いとも良いとも思いません。
求めない 重ねない 望まない 筈がない
生きているから 生きているなら
残酷な程自由だ 逃げようのない事実なんだ 震える手でその足で 全てを決めるんだ
理想の自分を追い求めたり、挑戦したいことがあったり、行ってみたい場所があったりするのは当然のことです。生きているんですから。
前述した通り、大人になれば何もかも自由です。でも責任を背負うのも自分です。何かを選ぶときは慎重にならざるを得ません。それこそ震えながらでも選択を迫られたら自分の手で選んで生きていくしかないんです。
まとめ
あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで
あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで
ここまで長々と読んで頂いてありがとうございます。
冒頭でも述べましたがあくまで私個人の主観と勝手な解釈なので気に入らない方はスルーしてください(笑)。バンプオブチキンが好きな者同士で言い争いをしても仕方ないですし悲しいですから………。
私はこの曲は「親と自分」という風に解釈しましたし、それはつまり「不自由と自由」と同義語だと感じます。
親は近くにいると鬱陶しいと感じるときもありますが、離れてみると急に心配になったりして、不思議な関係ですよね。
離れ離れになったとしても、自分の大切な人とは最終的には同じ方向を向いて、出来れば最後は同じ場所に居たいんだということが、ラストの歌詞からも読み取れます。例えそれが死んだ後の世界だったとしても。
一曲通してみて、私個人としてはタイトルの(please) forgive 、「許してほしい」の意味が素直に飲み込めました。だって、親元から離れて自分自身が親になった今、両親には謝りたいことばっかりですもん(笑)。親の心子知らずです。お母さんごめんなさい。。。
また歌詞の考察記事を気が向いたらアップします。
それではまた次のブログで。
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