【OZROSAURUS】マッチョの歴史に残るパンチライン3選!浜の大怪獣が刻んできた歴史を振り返る。
こんにちはトレンディパパです♪
昨今の日本語ヒップホップシーンでは、フリースタイルバトルの人気もさることながら、音源によるそれぞれのラッパーの活躍も目覚ましいものがあります。
数年前から続くトラップの人気はいまだに根強く、日本のトップテンチャートを賑わすほどの作品も珍しくなくなってきました。
私は1990年代から日本語ヒップホップを聴いて育ってきているので、最近の盛り上がりは非常に嬉しく、若いラッパーやDJ達には感謝すらしているくらいです!
私が若いころは、レコ屋に行っても日本語ラップのコーナーは非常に少なく、その気になれば全てのアーティストを把握できる程度の規模しかありませんでしたが、今は違います。どんどん新しいアーティストが新しい音源を生み出しています。そのどれもが素晴らしいとは言いませんが、ヒップホップは新陳代謝が激しいカルチャーなので、ある意味インスタントな聞かれ方を前提とするならばそれもアリだと思います。
前述したように、ヒップホップの音源は寿命(旬)が短いものが多く、数年経ったら聞かれなくなってしまう音源が多いのも特徴です。しかし中には、時代を超えて多くの人に愛され続ける「クラシック」と呼ばれる音源も残っています。
その「クラシック」には楽曲ももちろんですが、心に残る強烈な「パンチライン」も後世に残したいものが数多く存在します。
そこで今回は、ラッパー達がこの世に産み落とした「パンチライン」を、独断と偏見で3つ選んでみました。
あくまで私がくらったラインなので皆さんの意見とは食い違うかもしれませんが、そういう場合は是非コメント欄にて自分がくらったパンチラインを教えてください!
なお、この試みは企画として別ラッパーバージョンも執筆するつもりですのでよろしくお願いいたします。
それではどうぞ。
OZROSAURUS
今回パンチラインを選んでいくのは浜の大怪獣ことオジロのマッチョです。
私が10代後半の多感な時期にいきなり現れ、一気にスターダムまで上り詰め、3rdアルバム『Rhyme&Blues』ではBEST HIPHOP ALBUM 2006にも選ばれました。このアルバムはマジで名盤です!いまだに聞いてます。
メンバーの脱退や加入、所属事務所の移籍を多く繰り返していますが、今でも活動は続けています。客演の仕事が多いですが、オリジナルの発表も待ち遠しい限りですね。
彼の残してきた作品の中からパンチラインを3つだけ選ぶなんてぶっちゃけ不可能です。名言が多すぎます。ですが今回は苦渋の決断を繰り返した厳選してみました!
第3位!
Dear My Son 語り合おうな そのとき渡すプレゼント いま集めてる
俺の親父が俺にしてくれたみたく 出来るかわからねぇけど なっ
Rhyme&Blues(2006年3月15日)に収録の「My Dear Son」からのパンチライン。
この楽曲は全てが名言で歌詞全部をパンチライン認定したいくらいです。
マッチョは独身でしたが、「もし自分に息子が産まれたら」という設定で曲を書いています。私も当時は独身で、自分に子供が産まれるなんて想像もできないような時期でしたが、この曲を聴いたときは鳥肌が止まりませんでした。
この歌詞で言われている通り、マッチョは息子に渡すためのプレゼント(思い出話)をたくさん集めたことでしょう。それこそ、楽しいことから辛いことまで。。
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第2位!!
たとえテレビや雑誌がお前を 騒ぎ立てもだしまろなヘボ ネリー
次はどうするエミネム風? 年に一度聞いてやるエイプリルフール
Rhyme&Blues(2006年3月15日) 収録の「Disrespect 4 U feat.ZEEBRA」からのライン。
タイトル通りディス曲ですが、当時は誰に向けてのディスなのかが仲間内ですごく話題になりました。
客演で参加のジブラの歌詞で「ワード フロム ザ ベートーヴェン」と言っていますので、当時ベートーヴェンの曲をサンプリングして曲を発表したクレバを攻撃しているのでは噂していましたが、ジブラ本人はこれを否定しているようです。
マッチョは他の楽曲でもクレバのことをディスっているような歌詞が見受けられますが、真相は不明です。
エミネム風とエイプリルフールで韻を踏んでいるのを聞いたときはぶっ飛びました。この曲は賛否両論ありますが、トラックから何からすべてがカッコいいと思っています。
第1位!!!
勝手に言ってなってたレペゼン
ホザいてた程大層なモンじゃねぇが
でも愛してんだ街 返したいものはLOVE
Rep – ZORN feat. MACCHO からのラインです。
若いころは飛ぶ鳥を落とす勢いで敵なしだったマッチョ。リリックで「レーベルでいつか建てるデカいビル」と言っていた時も、マッチョなら本当にやれるかもみたいな期待感すらありました。当時のヒップホップ業界では夢のまた夢なようなことでも、「彼ならもしかしたらやるかも」という雰囲気を持っていましたね。
そんな彼も年齢を重ね、いくつもの世代交代の波に飲まれ、活動も昔よりは停滞気味になってしまいました。それでも私は彼の曲が好きだし、客演などでメディアに登場してくれるとすごく嬉しいです。
般若の曲で客演していた時も、うつ向いて悩んでいるようなシーンがあって切ない気持ちになります。ラップを始めた当時は最年少で仲間もたくさんいた彼も、いつの間にか周りのみんなは辞めてしまって孤独感を感じ始めているのでしょうか。
このパンチラインでは少し弱気なマッチョですが、2000年代のオジロザウルスは確実に横浜という街を盛り上げていましたし、彼がいなかったら日本語ラップシーンはもっと評価が低かったはずです。その証拠に、現在でも多くのラッパーに彼のリリックは引用されていますし、フリースタイルバトルシーンでもオジロのクラシックはバトルビートとして使われています。そして若い観客達もオジロのビートがかかった瞬間に歓声を上げています。
まとめ
いかがでしょうか。あくまで私の主観ですし、もっとヤバい名言も数多くあります。皆さんもこの機会にオジロのアルバムをもう一度掘ってみるのも面白いかもしれませんよ!
若い子たちにもマッチョのヤバさは語り継がれています。本物はしっかり後世まで残るものです。だからマッチョにはもっと胸を張って活動を続けて欲しい!!!
私はこれからも彼を応援していますし、アルバムが出たら絶対買います。オジロフォーエバー!
今後もこのシリーズは続けていきますので、気が向いたら覗いてもらえれば嬉しいです。
それではまた次のブログで。
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